「幸せになる権利」という言葉をよく耳にします。
でも、私はたまに「幸せになる義務」がある事を考えてしまうのです。
「幸せになる義務」ではなく、「幸せにならなければいけない義務」ですね。
恵まれたことに、私は親から愛情を受けて育ったと自分でも思っています。
でも、「幸せになって欲しい」という親のリクエストも同じく背負ったことになります。
もちろん、親の言う「幸せ」は私にとっての「幸せ」とは異なった形をしているため、そこでお互いのリクエストが乖離します。
「幸せ」は暖かくて、ほっこりしていて、安心出来る人との生活。
これが私の「理想」です。
でも親は「経済的に安心出来る人。出来れば、周りの事にも気を配れる人との結婚」が私への幸せリクエストでした。
正直、親と言えども私ではない人との「幸せ」議論は疲れます。
互いに歩み寄れないのですから。
とはいえ、親の気持ちも分からないではない。
きっと、私も姪っ子には同じことを思うでしょう。
(妹は幸せな家庭を築いているので、安心ですv)
だからこそ、「幸せ」になりたいというリクエストはとても難しいものです。
ライフオーガナイザーとして、空間の整理を始めてから、「幸せ」の乖離を上手く埋めることが出来ました。
自分が「幸せ」なのだと、きちんと言える事が親に対しての「義務」なのだと思えるようになりました。
次は、親の「幸せ」についても、書こうと思います。
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